2018/12/23 中山11R 有馬記念の予想①

原点

先日書いたように、僕の競馬人生の原点は1997年の朝日杯。

そこでグラスワンダーと出会っていなければ、僕はここまで競馬にのめりこんでいなかったと思います。

でも、本当に競馬にのめりこむ要因となったのは、1998年の有馬記念。

グラスワンダーが復活を遂げた、あのレースです。

僕は1997年の朝日杯でグラスワンダーに出会い、翌年のグラスワンダーの活躍に胸を躍らせました。

しかしながら、グラスワンダーは故障。

活躍が期待された春のシーズンを棒に振りました。

そして、復帰した秋。

毎日王冠で挑んだサイレンスズカには歯が立たず、同期のエルコンドルパサーに先着される始末。

ただ、それでも、復帰戦だからまあこんなもんだろうと思っていました。

ところが、次のアルゼンチン共和国杯で惨敗。

そのレースぶりを見た友人たちからは、「グラスは終わった」と口々に言われました。

でも、僕はあきらめていませんでした。

朝日杯であれだけ強かった馬が、こんなところで終わるはずがない、と。

だから、絶対に次のレースでは復活すると思っていました。

その「次のレース」が有馬記念。

案の定、周りの競馬好きの友人たちは、口々に「グラスが来るわけがない」と言っていました。

でも、僕はグラスワンダーが復活することを信じていました。

絶対にグラスワンダーは復活すると。

そして、ご存知の通り、グラスワンダーは有馬記念で見事な復活を遂げました。

その後も宿敵・スペシャルウィークをはじめ、数々のライバルたちとしのぎを削る中で名レースを生み出し、ターフを去りました。

僕の中で絶対の競走馬はグラスワンダー。

その絶対の競走馬のイメージを作り出したレースが有馬記念です。

いわば、僕の競馬人生の原点は’97朝日杯かもしれないけれど、本当の意味での原点は’98有馬記念かもしれません。

無理とか無駄とか

結局、’98有馬記念が僕に残したものは何か。

それは「無理」とか「無駄」とかという固定観念、先入観がいかに意味がないことか、ということ教えてくれたことに尽きると思います。

あのとき、周りの人間は、グラスワンダーが復活するわけがない、無理だ、とグラスワンダーを推す僕に口々に言っていました。

でも結局、無理でもなんでもなく、グラスワンダーは勝ったわけです。

いかに人間の決めつけ、先入観、固定観念が危うく、意味のないものなのかを思い知った瞬間でもありました。

思えば有馬記念は、グラスワンダーの前にも後にも、そういう先入観や固定観念を覆す歴史の積み重ねだったではありませんか。

天皇賞・ジャパンカップと惨敗を続け、もう終わった馬だと思われていたオグリキャップ。

1年以上のブランクがありながらも出走してきたトウカイテイオー。

結局、「無理」だとか挑戦自体が「無駄」だとか言うのは人間の先入観であり、固定観念でしかないわけで、その先入観や固定観念こそが、意味のないものだと思うのです。

有馬記念というレースは、もはや競馬というギャンブル、競走馬走るレース、という枠組みを超えて、人間の思考の傾向を打ち破る、そんな意義のあるレースだと思います。

やる前提で考える

そんなグラスワンダーの走りで「無理」とか言うことの意味のなさを知った僕は、ときを重ねてインフラ系の仕事に就くことになりました。

インフラ系の仕事は、まさに既得権益のうえで行う仕事。

だから、既得権益を守るために、他を排除するのが前提となるような仕事がほとんどです。

外から持ってこられた案件は、すべて否定から入る。

できない、知らない、やったことがない。

この「3ない」主義がはびこっているのが、インフラの仕事のベースにあるといってもいいでしょう。

御多分に漏れず、私の勤めている会社も、この「3ない」主義が、悪い意味で徹底されている会社です。

僕自身は、そんな可能性を自らシャットダウンしてしまう姿勢に疑問を持ち、できるだけ「やってみる」ことに意識を置いて仕事をしてきたつもりでした。

でも、環境というのは恐ろしいもので、いつのまにか、「3ない」主義が自分の中にしみついてしまっていたのです。

そんな中、昨年の人事異動で、ある上司に出会いました。

その上司は、社内での評判はあまりよくなく、俗にいうパワハラ上司でした。

ただ、実際下についてみると、言葉は乱暴なところがあるものの、パワハラという印象はなく、とにかく「やってみよう」というスタンスの上司でした。

その上司は、よくこういうことを言っていました。

「やらない前提で物事を考えず、やる前提で考えてみよう」

物事を「やらない前提」で考えると、やらないためにはどうしたらいいか、ということを考えるようになります。

結果、やらない理由、すなわちやらない言い訳を並べることになります。

一方、「やる前提」で物事を考えると、これとこれができれば、やれる、という風に物事を前向きにとらえられるようになります。

まあ、ビジネスをする上で、やらない前提で考えるなんていうことはもってのほかなのですが、インフラ系だと、わりと、このやらない前提が当たり前になってしまったりするんですよね。

そんな中、その上司がよく言っていた「やる前提で考える」というのは、本当に大事なことだな、と気づかせてくれるキーワードだったと思います。

グラスワンダーの話から、急に仕事の話になったように思えるかもしれませんが、この二つって、実は根は一緒なんですよね。

「無理」「できない」って思うことは、可能性をシャットダウンしてしまっている。

だから、どうやったらできるのか、どの条件ならできるのか、いい結果になるのか、という意識のもと、物事を考えることで、無限の可能性が生まれるんだと思います。

そして、それが実現されたときにはじめて「感動」が生まれる。

僕はそう思っています。

本当に「無理」なのか

さて、有馬記念の予想のために、なが~い前置きを書いたのは、すべてオジュウチョウサンの出走のため。

ネット上では、「通用するわけがない」「惨敗」「勝つわけがない」といった、結果に対して否定的な意見が多数を占めているように思います。

でも、本当にそうでしょうか。

1000万下のレースをギリギリで勝つのがやっとだから、なんていう理由だけで、「無理」と決めつけていいんでしょうか。

そのレースのタイムが物足りないと騎手が言ったからといって、それをもって、「無理」と決めつけていいんでしょうか。

僕はそうは思わない。

圧倒的な能力を持つ馬が、圧倒的な能力の差を見せつけて勝つこともあれば、圧倒的な能力があっても、相手なりに走って勝つという馬もいることを知らない競馬ファンが多いのでしょうか。

レースのタイムなんて、出走メンバーや馬場や展開次第で大きく変わるので、勝ちタイム≠その馬の能力なんてことを知らない競馬ファンが多いのでしょうか。

中山大障害の予想でも書きましたが、少なくともオジュウチョウサンは不世出の障害馬であることは間違いありません。

おそらく100年に1頭いるかいないかレベルの馬だと思います。

そんな馬に、今までの常識なんて通用するのでしょうか。

そもそも、こんなレベルの障害馬が有馬記念に出走したことすらないのですから、常識と考えられていること自体が常識ではないのかもしれません。

もちろん、競馬ですから、絶対はありません。

だから、オジュウチョウサンが負けることはありうる。

惨敗することもある。

でも、好走することだってあるし、勝つことだってある。

じゃあ、その可能性にかけてみたいではありませんか。

「勝つ前提で考え」たとき、いくつか条件はつくものの、決してオジュウチョウサンが勝てない理由はないと思います。

というわけで、有馬記念は、

◎オジュウチョウサン

で臨みたいと思います。

○以下の馬については、また別途。

コメント